那珂湊天満宮の由来

『那珂湊天満宮の由来』  茨城県ひたちなか市湊中央1-2-1 Googleマップ ひたちなか市  2011年7月17日撮影
カメラ機種名: Canon EOS 5D Mark II, 撮影モード: 絞り優先AE, シャッター速度: 1/200, 絞り数値: 4.0, 測光方式: 評価測光, 露出補正: 0, ISO感度:100, ホワイトバランス: オート, 長秒時露光のノイズ低減: 自動, 高感度撮影時のノイズ低減: 標準, 高輝度側・階調優先: しない, オートライティングオプティマイザ: 標準, 周辺光量補正: する
レンズ: EF24-70mm f/2.8L USM, 焦点距離 48.0mm, 画像サイズ: 3744x5616を1024x1536にリサイズ

画像にマウスカーソルを乗せると『東條常言』が赤枠で示されます。

碑文:
 天満宮は、菅原道真公を奉斎した神社で、今から七百余年前の鎌倉時代、海上に種々の奇端が現われ、神託を乞うや、道真公の神霊が、この地に降ったとのことであった。時の領主は、北野山満幅寺泉蔵院を創建して守護させ、神領として二十五貫文の地を寄せられた。
 それ以来、住民の信仰が篤く、南北朝時代の頃には、神前で大般若経の転読が催された記録が見える。神仏混淆の時代には、久しく仏像を安置しておいた。
 時が移り江戸時代になると、第二代徳川光圀公は、元禄年中に寺社改革(神仏分離)を行ない、
家臣東條常言に命じて、菅公の御神像を造らせ、神宝を添えて遷宮の式を行なわせた。また祭礼の式も改め、社職を泉蔵院別当から柏原明神(現在の橿原神宮)の社守鈴木長門に命じた。
 爾来、歴代の藩主は、とくに天満宮を尊崇し、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されている。
    昭和五十八年五月
                                      天満宮宮司 井上 義 撰文


この碑は、天満宮入り口にある大鳥居の左脚手前に設置されています。

外部リンク
各地区公式サイト: 茨城県ひたちなか市

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