JA1AWN & JA1POPとPOPの妹

『JA1AWN & JA1POPとPOPの妹』 当時の我が家の近所(横浜市鶴見区生麦町(後に岸谷)) Googleマップ 金沢区富岡西 昭和33年(1958)5月撮影
年前の写真です。JA1AWN 羽賀さんと、私(10歳。この時点では未開局。6年後にJA1POP開局)、そして私の妹です。ここは羽賀さんが住んでいるアパートです。我が家に下宿していた備前俊也さんが羽賀さんの友人で、ここへ連れてきて下さいました。この写真は備前さんが撮ってくれました。
アパートの敷地に7MHz用のダイポールが上がっており、給電はハシゴフィーダです。送信機の終段は813か811だったと思います。この写真の私の左肩の辺りから垂直に伸びている影が7MHz用ダイポールの支柱です。支柱は丸太でした。ダイポールは写真の右後方に張られていますので、右上から左下方向への薄い影がハシゴフィーダのようです。ハシゴにする割り箸は、撥水・防水・防蝕のためにパラフィンで煮てから使います。そのフィーダを1階の右端の部屋へ引き込んでいます。

近所に住む大叔父(祖父の弟)が戦前からラジオを作っていたこととJA1AWN 羽賀さんと巡り会えたことが、私がHAMになる切っ掛けとなりました。
二人とも「ハムになったらどう?」というようなことは一切言いませんでいたが、大叔父はエナメル線、リッツ線、鉱石検波器(方鉛鉱に針を突き立てる本物)、その他、いろいろ部品をくれるし、羽賀さんはシャックに招いてくれてリグの説明から始まりワクワクするような話をして下さいましたので、私はいつしかラジオ作りに夢中になっていました。中学に上がった頃には送信機まで作り、アンテナは7MHzと、3.5MHz用のλ/2ダイポールまで建ててしまいました。上の写真の撮影者の背後にはJA1FHC 室田さん(私の同級生のお兄さん)宅があります。この頃は室田さんはまだ開局されていなかったと思いますが、この一帯はHAMの人口密度が高いです。そんな中で私と友人がお空で騒いでいたのですから、さぞ迷惑だったことでしょう。
小学生頃からの友人はこちら。最近の我が家のアンテナはこちら

羽賀さんはその後、同じ鶴見区内のJA1AI 稲葉さんの隣接地を購入されてお住まいになっています。丘の上ですからロケーションが抜群です。最近のJA1AI 稲葉さんはこちら(の中の1人。最近の写真なので、これ以上は非開示。)
備前さんは、もっと早い時期に現在の東戸塚駅の近くに家を建てて引っ越されました。その時点では東海道本線保土ヶ谷駅の次は戸塚駅でしたが、先見の明をお持ちのようで、随分後ではありますが東戸塚駅ができましたのでお子様やお孫さんは便利な生活をされていらっしゃると想像いたします。私が中学生のときに鶴見から戸塚の備前さん宅へ自転車で伺った記憶があります。

外部リンク: JARL(一般社団法人 日本アマチュア無線連盟)  JA1YJY 横浜鶴見クラブ  QRZ.com(JA1POP)  QRZCQ.com(JA1POP)  総務省電波利用ホームページ>…>無線局等情報検索「アマチュア局」JA1POP 固定局JA1POP 移動局

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